【著者】石川義正
【判型】四六判、上製、スピン有
【頁数】344頁
【定価】本体3,200円+税
【コード】ISBN978-4-906738-17-5
「もはや「小説は芸術ではない」。
ならば、「批評」はいま何処に居住すればよいのか?
「記号」の錯乱形成を冴えやかに語りながら、石川義正が無慈悲なほど正確に指呼するのは、その吹きさらしの場所である。
……おそらくは、すでに臨戦状態の!——渡部直己
総力戦」の時代におけるデザインと代表=表象をめぐる、
大江健三郎、村上春樹、小島信夫、大岡昇平を中心にした小説と、
磯崎新、原広司、伊東豊雄、コールハースらの建築とのキアスム。
【著者より】
建築/小説は、建築と文学というまったく異なるそれぞれの領域で一義的に作用する形象によって、
その言説の様態をデザインする/される。
しかし建築/小説はたんに芸術的であることも、あるいは大衆的であることも意味しない。(…)
建築/小説は国民国家や市場に発する形象の一義性をいったんアレゴリーとして受容したうえで、
それをあらためて転倒し、錯乱させる。
ベンヤミンはファシズムによる「政治の耽美主義化」に対してコミュニズムによる「芸術の政治化」を対置した。
しかしそれはたんに――プロレタリア文学のような――政治に奉仕する芸術を意味しない。
そうではなくて芸術と政治という対立自体を破棄する可能性がそこで示唆されているのだ。
本書もまた現実の可能性そのものを組み替える小説の力能を再発見しようと試みる。
建築/小説は現実と虚構という対立を破棄する。
虚構が現実に介入する、つまり文学の政治化である。
――「イメージは無料ではない」より
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【目次】
0 イメージは無料ではない
0‐0 「住宅」の誕生
0‐1 高さと広さ――空間的包摂
マンハッタン | 東京
0‐2 「デザイン」としての文学
1 小島信夫の「家」
1‐0 住宅あるいは崩壊のアレゴリー
モダニズム/住宅 | 『抱擁家族』の家
1‐1 住宅の変容
女中の消滅 | nLDKの誕生
1‐2 近代のプログラム
nLDKの「汚れ」 |近代末期とnLDK | 住宅の解体/増殖
1‐3 近代の内破
鏡像としての江藤淳 | 『別れる理由』の相似 | 増殖する時空間 | メタフィクションというトリック
1‐4 近代の帰結
『各務原・名古屋・国立』のゆらぎ | 透明性というアナクロニズム
2 大岡昇平の「東京タワー」
2‐0 バベル333あるいは破局都市
2‐1 東京の1958年
「東京タワー」の非在 | 見えない都市・東京
2‐2 フィクションと真実
真実という残余 | 散文としての祈り
2‐3 記号の散逸
全体とその外 | 体系としての日本/軍 | 崩壊過程としての戦場
2‐4 芸術あるいは死の擬態
知覚の変容と芸術 | 仮死の都市
3 大江健三郎の「塔」
3‐0 塔という背理
3‐1 塔/範列的分析
大江健三郎の三つの塔 | 原広司による塔 | ユートピアとしての塔 | 樹木の分身としての塔
3‐2 塔/歴史的分析
ユートピアの解体(1960年代) | ポストモダンのユートピア(1980年代) | 聖なる塔/俗なる塔(1990年代)
3‐3 福島第一原発事故と塔
「懐かしい年からの返事は来ない!」 | ふたたび治療塔の彼方へ
4 村上春樹の「システム」
4‐0 デタッチメント/自閉/穴
4‐1 1985年のウロボロス
「システム」の登場 | 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の供犠システム
4‐2 伊東豊雄を導入する
「中野本町の家」とポストモダン空間 | 「中野本町の家」と仮死空間
4‐3 同時代人としての柄谷行人
4‐4 システムからデザインへ
4‐5 従順なサーヴァントたち
4‐6 ウィリアム・モリスの子どもたちはみな踊る
モリスから「トータル・デザイン」へ | 越権するデザイン | 「かえるくん」の定言命法
4‐7批評はいかに可能か
5 大江健三郎の「総力戦」
5‐0 廃墟
SINとARATA | 廃墟の起源
5‐1 戦場
第一の破壊構想 | 戦場としての都市 | 大阪万博と「偶像」
5‐2 住宅
総力戦と住宅 | 建築/小説の誕生
5‐3 徴候
第二の破壊構想 | 新たな総トータル・デザイン力戦へ
【略歴】
石川義正(いしかわ・よしまさ)
文芸評論家。1966年生まれ。慶應義塾大学卒業。
主な評論に「新国立競技場問題をめぐるふたつのフィクション——天皇制と市民社会」(『子午線』4号)、
「芸術・大逆・システム——尾辻克彦の小説をめぐって」(『文藝別冊 赤瀬川原平』)、
「谷崎潤一郎と言説の抗争」(『文藝別冊 谷崎潤一郎』)、
「『宙返り』のあとで」(『ドストエフスキー——カラマーゾフの預言』)など。
2016年『文學界』で新人小説月評を担当。