【著者】長濱 一眞
【判型】A5判、上製、スピン有
【頁数】416頁
【定価】本体4,600円+税
【コード】ISBN978-4-906738-24-3
【カバー写真】Karl Blossfeldt, “Physostegia virginiana,” 1915-1925
今もなお我々は「近代」のさなかにある
平民として自発的に統治に服す「大正」の教養主義が「民主」の言説だとすれば、
「昭和」前期に「独裁」が勝利した滝川事件を機に
いずれとも相容れない知識人が現出した——。
近代において批評をめぐって思考したふたりの「美学者」を解読しつつ、
天皇制、資本主義‐国家、市民社会などを批判的に剔抉する。
【著者より】
本書が深田康算と中井正一を主題としていることは、その副題が示している。
むろん、本書で触れた歴史的な出来事が現在反復されているとことさら強調する意図はないし、
実際、初稿を書き継いでいたとき、ここ数年の事柄など予期すべくもなかった。
しかし、本書が限られた範囲ながらも捉えんと試みた近代は現在も超えられておらず、
そのなかで深田と中井がそれぞれに思考したものの
いまだその意義にふさわしく読まれたとは判断し難い近代性はなお批評的でありうるし、
それを示すべきだとの直観は、
ふたりの仕事を読み始めた当時も、書籍化のために読み直したときも揺らがずにいる。
――「まえがき」より
【目次】
まえがき
第一部 深田康算
第一章 師をめぐる喪の作業
ラファエル・ケーベル来日 | 師の死 | 呼称に関する奇妙な配慮
師との訣別
第二章 「型」の行方
「古き形式」と「新なる形式」 | 『武士道』と『修養』
深田康算における美学の端緒 | 事物ノ理ヲ説キ書ヲ読ミ文ヲ作ルモ
籠城主義から教養主義へ
第三章 ふたつのケーベル
キリスト教的汎神論 | 「籠城」と「大洋」 | 汎神論と教育勅語
「私の神」 | 教養主義の「誕生」
「我々は知らない」と「我々の祖先」 | 「ドイツであった」
第四章 アポスタータ
アポスタータとユダ | ユリアヌス | 深田康算とユリアヌス
「恣」の詩から離れて | アレゴリー
第五章 芸術批評をめぐって
「製作と理論」と「宗教と美術」 | 眼を閉じた後で | 批評の意義
批評と「公衆」 | 「疑惑」とともに猥雑に | 印象批評と客観批評
民主主義と自由主義 | 「見ゆる」もの
第二部 中井正一
第一章 師の予見?――滝川事件Ⅰ
澤柳事件 | フィヒテ追放と滝川事件 | 滝川事件の方へ
第二章 ドレフュス革命として――滝川事件Ⅱ
平常への回帰 | ドレフュス事件でなく | 知識人
「ありきたり」でなく、かつ「万人向き」に | 一九三三年のドレフュス革命
真理とマリアンヌ | 滝川事件における中井正一
第三章 ドレフュス革命後の「リアリズム」
「昭和十年前後」のドレフュス革命 | 滝川事件前後の反革命
「原因としてのロマン」へ | リアリズム批判
第四章 「リアリズムと浪曼主義」
故郷喪失と「嘘」 | Romanの消滅 | 文芸復興と宗教改革
二様の「悪魔」 | 「人類の等質化」のなかで | 階級脱落者としての知識人
第五章 「第二の防波堤」
「昭和十年前後」の共産党再建運動 | 平野謙におけるコペルニクス的転回
『世界文化』同人 | 『土曜日』
第六章 「革命の前日」
消費組合運動の興り | 京都家庭消費組合 | 消費にもとづく統制と協同?
「自由主義時代」の終焉の先 | 京都消費組合 | 脱落への「志」
物想うとき
第七章 「ある」の投擲
嘘言の構造 | 回答的評価の機構 | 中井正一におけるコプラ
和辻哲郎におけるコプラ | 保田與重郎におけるコプラ | うつす、ダブらせる
謝辞
引用文献一覧
【略歴】
長濱 一眞(ながはま・かずま) 批評家。1983年生まれ。
2014年、大阪府立大学人間社会学研究科で博士号取得(人間学)。
『子午線』編集同人。『週刊読書人』2019年論壇時評「論潮」担当。
その他の論考に「コンサルティングか、「社会思想」か?」(『情況別冊 思想理論編第3号』)、
「居心地の悪さ——イーストウッド『アメリカン・スナイパー』試論」(『戦争思想2015』)など。