
【著者】市田良彦
【判型】四六判、並製
【頁数】460頁
【定価】本体3,600円+税
【コード】ISBN978-4-906738-56-4
【カバー写真】水谷吉法
「政治過程論」を再審する
アルチュセールやドゥルーズ、フーコーらの「現代思想」と、
60年安保から始まり全共闘、(連合)赤軍を経て
現在にいたるまでの「ポスト68年」とを
一つのものとして根源的に追究してきた社会思想史家の40年の軌跡。
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【著者より】
非「研究者」的文章を「研究」として差し出すこと、
そこに一般の「学術論文」よりも「学術的」な内実を同時にもたせることに、
私は『闘争の思考』(1993年)のころから腐心していたように思える。
80年代、日本ではまだ「フランス現代思想」は研究対象として大学世界で認知されていなかった。
ヒントを得て「批評空間」の再編に寄与するか、
「知(見)」を方法論的に「文学」などにもち込むかしか、
その活用方法はなかった。
そのいずれでもないこれが思想「研究」だ、という尊大な自負を個々のテキストに滲ませて書く、
それが私なりに日本的ポストモダン言説に抵抗するための「エチカ」であったように思える。
そして思想「研究」は「現在の診断」から出発する、
私はなによりそのことを「フランス現代思想」から学んだ気がしていた。
アルチュセールであれフーコーであれ、
さらにドゥルーズであれデリダであれ、そうだったではないか。
――「あとがき」より
【目次】
〈68年〉/〈現代思想〉
〈六八年五月〉、哲学を解放する現代思想と政治をめぐる序
(ポスト)構造主義のヒーロー、政治の政治
「権力‐知」か「国家装置」か――〈六八年五月〉後のフーコーとアルチュセール
60年/68年
政治的主体は「存在」しない〈68年〉のドン・キホーテ
「俺が党だ」――ポスト〈六八年〉の理論的悲哀
アジテーターのエチカ――長崎浩『政治の現象学』をめぐって
長崎浩『政治の現象学』再刊にあたって
叛乱と反乱、あるいは二つの〈我々〉
「十五少年漂流記」から「蠅の王」へ
FACTUM est FACTUM の意味を問う 廣松渉への挑戦状
死が作品になりえたころ――岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年』解説
戦争/闘争
戦争と平和、あるいは、ジュネがマオに接吻するなにが「気分」か?――『気分はもう戦争』(矢作俊彦・大友克洋)をめぐる戦略問題
闘争/表象
踊る/踊らない身体の言語――田中泯をめぐって微分の叙情、個体の神性――小泉義之『ドゥルーズの霊性』をめぐって
不平等の再生産に抗して――ジャック・ランシエール『哲学者とその貧者たち』
相容れない三者を結び合わせる――布施哲『世界の夜』
匿名連載ブックファイル
蜂起は無駄なのか――モフセン・マフマルバフ監督『独裁者と小さな孫』
【略歴】
市田良彦(いちだ・よしひこ)
社会思想史。神戸大学名誉教授。1957年生まれ。
著書に著書に『フーコーの〈哲学〉』(岩波書店)、『ルイ・アルチュセール』(岩波新書)、『存在論的政治』(航思社)、『革命論』(平凡社新書)など。
訳書にアルチュセール『哲学においてマルクス主義者であること』(航思社)、『終わりなき不安夢』(書肆心水)、『政治と歴史:エコール・ノルマル講義1955-1972』(平凡社)、フーコー『悪をなし真実を言う』(河出書房新社)、ランシエール『平等の方法』『アルチュセールの教え』(ともに航思社)など。
