【著者】岡崎次郎
【解説】市田良彦
【シリーズ】革命のアルケオロジー 9

【判型】四六判、上製、スピン有
【頁数】400頁
【定価】本体3,600円+税
【コード】ISBN978-4-906738-47-2

【カバー&帯イラスト】鈴木昌吉

2023年5月17日(水)重版出来

 

【ためし読み】

老マルクス研究者の遺言

「日本で唯一のマルクス主義への殉教」「老人の美しい死」
――本書旧版の出版と、その翌年の著者夫妻の「死出の旅路」の衝撃。
その一方で、人民戦線事件、満鉄調査部、『資本論』出版の舞台裏などのあからさまな記述。
「プロレタリアート独裁と暴力革命とに死ぬまで固執」しながら、
ペーソスとユーモアに溢れる文体で、自らの人生を飄々と振り返る。
1983年の青土社版に、単行本未収録原稿を追補。
旧版から40年、待望の復刊。

 

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【著者より】

この本の題名は、見る人に多少奇異の感を与えるかもしれないが、
私としては、いろいろ考えた揚句こうするよりほかはなかったのである。
いま私は満78歳と2ヶ月である。
親元を離れてからの60年間、じっさい、私はカール・マルクスに寄り掛って生きてきたような気がする。
前半生は主として精神的に、後半生の40年間は精神的にも経済的にも。(…)
 しかし、付き合っている時間が長ければ良いというものではない。
他人は付き合い方しだいで良友にもなれば悪友にもなる。
「岡崎はマルクスに取り憑かれたばかりに一生を誤った」などとアホなことを言う旧友もいる。
もし私が一生を誤ったとすれば、それはマルクスと付き合ったからではない。
私の付き合い方が良くなかったからである。
そして、私はいま、
私の付き合い方が、少なくとも余り感心したものではなかったことを、つくづく感じている。
他人様から見たらどうだろうか。
「そんなことはないよ、くよくよしなさんな」と言ってくれる人が一人でもいれば、
安んじて往生できるかもしれない。
虚勢を張ってはいても、本当は弱いのである。

――「序」より

 

【お知らせ】

本書第1版第1刷において、編集部による注釈に事実誤認がありました。
読者、関係者にお詫びし、下記のように訂正いたします。
・303頁注2
なお、本文中にいう『剰余価値学説史』新全集版(新訳)は二〇二三年時点で出版されていない。
 ↓
なお、本文中にいう『剰余価値学説史』新全集版(新訳)は『マルクス資本論草稿集』5‐8(大月書店、一九八〇‐八四年)として刊行された。

 

【目次】

第Ⅰ部 戦前・戦中篇
 第ⅰ章 ごく簡単な履歴書
 第ⅱ章 第一高等学校文科甲類――『社会問題研究』とマルクス勉強
 第ⅲ章 東京帝国大学文学部
 第ⅳ章 東京帝国大学経済学部
 第ⅴ章 不屈の闘士西田信春のこと――京洛遊蕩・向坂逸郎との出会い・保谷村閑居
 第ⅵ章 東亜経済調査局――官製人民戦線事件 入牢一年
 第ⅶ章 満鉄調査部
 第ⅷ章 北京 敗戦から引揚げまで

第Ⅱ部 戦後篇
 第ⅰ章 『資本論』との再会
 第ⅱ章 九州大学まで
 第ⅲ章 九州大学教養部――社会主義協会草創のころ
 第ⅳ章 九州大学から法政大学へ
 第ⅴ章 『資本論辞典』(青木書店版)
 第ⅵ章 法政大学経済学部
 第ⅶ章 『マルクス=エンゲルス全集』(大月書店版)
 第ⅷ章 『資本論』新訳(大月書店版)
 第ⅸ章 『剰余価値学説史』(大月書店版)
 第ⅹ章 マルクス=エンゲルス書簡集
 第ⅺ章 『現代マルクス=レーニン主義事典』
 第ⅻ章 マルクスから学んだもの
 第xⅲ章 マルクスとの別れ

追録 若き日の奇友 池正と祐平のこと

新版補遺

牝馬と口笛――マルクス=エンゲルスの手紙
乱世の雲水・西行

解説

死が作品になりえたころ 市田良彦(神戸大学大学院国際文化学研究科教授)

 

【略歴】

岡崎次郎(おかざき・じろう)
マルクス経済学者。1904-84?
東京帝国大学文学部・経済学部を卒業後、満鉄調査部などを経て九州大学教授、法政大学経済学部教授を歴任。
マルクス『資本論』岩波文庫版を実質的に翻訳後、
『マルクス=エンゲルス全集』では『資本論』新訳のほか『剰余価値学説史』『マルクス=エンゲルス書簡集』などを翻訳。
著書に『資本論入門』(大月書店、1976)、『現代マルクス=レーニン主義事典』(編著、社会思想社、1980)など。