『風景の死滅 増補新版』

【著者】松田政男
【解説】平沢 剛 
【シリーズ】革命のアルケオロジー 2
【判型】四六判、上製
【頁数】344頁
【定価】 本体3,200円+税
【コード】ISBN978-4-906738-05-2
【帯写真】『略称・連続射殺魔』(1969)より

 

 

 

風景=国家を撃て!

永山則夫、フランツ・ファノン、チェ・ゲバラ、
国際義勇軍、赤軍派、『東京战争戦後秘話』、若松孝二、大杉栄……
何処にでもある場所としての〈風景〉、
あらゆる細部に遍在する権力装置としての〈風景〉に
いかに抗い、それを超えうるか。
21世紀における革命/蜂起論を予見した「風景論」が、
40年の時を超えて今甦る――
死滅せざる国家と資本との終わりなき闘いのために。
[解説:平沢剛]

 

【推薦】

《風景の死滅》のために――五木寛之(抜粋)

(…)この評論集におさめられた〈風景〉をめぐる松田政男の重層的な文章の眺めは、
私にはひとつの重く大きな、声にならぬ嘆声を呼びおこす。
それは「風景が情況を乗取った」云々という、あの鮮烈なアタックのせいではなく、
むしろそれらの一見激越な文体の背後にどうしようもなく流れ続ける、或る人間としての呻き、
ほとんど心弱い少年の号泣のごとき何かの声を木魂のように聞くが故にである。(…)
論客はいくらでもいる。文章家はどこにでもいる。
しかし、アクチュアルであることによって、一層深く人間的であるような思想の表現者は少い。
松田政男の風景論の奥に私はたしかにかすかな〈哀号〉の響きを聞いたと思う。
それを聞いたことで、私は松田政男の存在にインパーソナルな心からなる共鳴を憶えずにはいられないのだ。

(初版リーフレット1971年10月より)

 

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【目次】

密室・風景・権力――若松映画と性の「解放」
風景としての都市
ゲリラ空間とは何か
組織論をめぐって
子供についての一考察
転形期の構図
奈落への旅の途上で
わが列島、わが風景
映像 風景 言語
不可視のムラの入口で
ユートピアの反語
「風景」と「情況」
ふるさともなく、うたもなく
夜から夜への通底器
机の前の永久革命者
迷路の奥のコンミューン
誰から殺すべきか
野獣と革命
大義について
喪われた祭り
密室のテロル
なぜ風景戦争なのか
出会いと訣れ
天使の誘惑
風景の死滅のために
風景論の起点
風景1~6
解説 風景論の現在(平沢 剛)

 

【略歴】

松田政男(まつだ・まさお) 1933-。評論家。
都立北園高校在学中の50年に日本共産党入党。以後、共産党所感派、神山派で職業革命家として活動。
同派分裂後トロツキズムからアナキズムへ接近し、
ゲバラやファノンの第三世界革命論を基礎に直接行動を模索。
未來社、現代思潮社などで編集者を務めつつ、東京行動戦線、レボルト社などを主導する一方、
映画批評・演劇批評を執筆。
著書に『テロルと回路』(三一書房、1969年)、『薔薇と無名者』(芳賀書店、1970年)、
『不可能性のメディア』(田畑書店、1973年)などのほか、
近著に『LEFT ALONE』(共著、明石書店、2005年)、『トロツキー入門』(共著、こぶし書房、2007年)など。